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Kirschbaum

ハマっているモノについて徒然語るblog

Fate SS・無題

インターネットアーカイブから過去のWebサイトを発掘したので、ネットの海に消えたはずのSSを少し掲載しようかと。
このSSの執筆はFate/stay night発売後、Fate/hollow ataraxia発売前に執筆した物(時期的に2005年のはず)なので、今現在のFate界隈の設定とは乖離がある可能性があります。
内容としてはHevens Feel Normalエンド後を描いています。

また、誤字脱字は当時のままにしておりますので、そこらへんは見逃していただけると。



==== 無題

1.
「……」
 既に何年の時が経っているのかわからない。ひょっとするとまだ数ヶ月しか経っていないのかもしれない。
 誰もいない家で生活をしていると、自分の周り以外で時間を感じる感覚が著しく削られる。
 果たして今日が何月何日で、何曜日なのかすら理解できない。
 テレビをつければわかるだろう。カレンダーを見たらわかるかもしれない。人が多く来る場所へ行けば、わかると思う。
 けれども、彼女はそれをしなかった。いや、出来なかったのかもしれない。
 やせ細った彼女の指の間から、一枚の花びらがスルり、と床に落ちる。
「あ……」
 彼女は、今日初めて顔を上げた。
 そこには、澄み切った蒼い空と、それに混ざるように彩られている白い雲。
 そして、桃色の花を咲かせた満開の桜があった。
 もう既に、何十年もの時を生きてきたであろう、立派な桜。幹は太く、枝は空へと逞しく伸びている。
 私は、こんなにも弱っていってるのにね……。
 そう彼女は自虐的に思い、薄く笑った。
「また、春が来ましたよ、先輩。でも、まだ帰ってきてくれないんですね……」
 一緒に桜を見よう、と言った約束を。その約束だけを胸に秘め、今まで生きてきた。その約束は今、彼女の体中を張り巡らせる呪縛となっている。生きながらえているのは、まだ呪縛が彼女を束縛しているからに過ぎない。
 今すぐにでも永眠しそうな彼女。その姿を見たものは、言い様の無い焦燥感を与えられてしまう。何かした方が良いのか、それともそのまま楽にさせた方が良いのか。
「もう、どこに行っているんですか? いつまで経っても来ないと、私も怒っちゃうんですから……」
 彼女は縁側に座りこんで、すっかりぬるくなってしまったお茶をすする。桜を見ながらお茶を飲む。そんな姿が様になる女性も、今更ながら珍しい。のんびりとしているようで、どこかしら危なっかしい所を除けば、だが。
「ねぇ、桜おばさん。最近本当にオバサン臭くなってない?」
 彼女の背後から、中学生くらいの女の子の声が聞こえた。どうやら居間に直結している台所で何かしているらしい。桜おばさん、と呼ばれた彼女は、居間の方を見ずに少し微笑みながら言った。
「そうかしら? 私もまだまだ××ちゃんに負けないつもりだけど?」
「あはは。私に負けてないのは確かにわかるけど、縁側でお茶を飲んでるの見ると、それももうそろそろ終わりかな、って思っちゃうんだ」
 そういいながらその中学生くらいの女の子は、羊羹を持って桜の隣に座った。
「綺麗だね、桜」
「そうだね。何年も何年もかかって、こんな立派な桜の木になってるんだもの。積み重ねた年月だけ、綺麗な花を咲かせるんじゃないかな」
「桜おばさんみたいに?」
 クスリ、と微笑んで、少女の言葉をごまかしてみる。もう、若いと呼ばれる年じゃなくなっている。それは、自分自身では判断つかないことではあるが、周りの人間の言葉で薄々気がついていた。今彼女のとなりにいる女の子も、ついこの間あったときにはまだ幼稚園生だったはずだと思う。既に、もう10回近くは桜を見たことになるのだが、それすらもあまり記憶になくなっていた。
 彼のいない春は、私には必要ないのだ。そう、無意識のうちに言い聞かせている。
「まったく。桜も××に甘いんだから」
 そして、玄関に続く廊下から更に第3の人の声が聞こえてきた。
 桜と同じ年頃の女性だろうか。日本ではあまり見かけない服装に身を包み、黒く少しウェーブのかかった髪を背中の真ん中辺りまで伸ばしている。赤いシャツと黒いパンツとのコントラストがやけに目を引く、気の強そうな女性だった。
「お母さんが厳しすぎるんですっ。桜おばさんの講義の方がわかりやすいし、すぐに覚えるんだからっ」
「××ちゃん、それは言いすぎだよ。私はあまり遠坂の魔術に関しては深いところは知らないから。跡取になるんだったら、ちゃんと姉さんの教えも聞いておかないと……」
「はいはい。あんたも、もう少し××に厳しくしてよね。私は私で教えるから、貴女は貴女で厳しく接してくれないと。だから、桜に甘えちゃうんだから」
「桜おばさんに厳しいことを期待するなんでできないよー、だ」
 べーっと舌を出して、自分の母親であろう黒髪の女性に威嚇する。桜はその様子を、やはり微笑みながら見ていた。その微笑に、黒い影が陰っているのに気付いたのは黒い髪の女性だけだったが。その影に対する、思いさえも。
 自分が失った日常が、そこにはしっかりとあるのだ、と。自分がもう一生手に入れることは無いかもしれない、平和な日々がそこにはあったのだと。そう思う桜の心情を察するのには、この××と呼ばれる少女には無理な事なのだろう。そして、それがわかっているからこそ、桜は少女の精一杯の姿に惹かれるのかもしれない。甘い、と言うのは別に彼女が可愛いから、と言うわけではない。  桜は、彼女と自分自身を合わせているだけなのだ。
 若い頃から魔術師として育てられる、彼女を。

2.
「ねぇ、桜。貴女、まだ××にライダーの事話してないんでしょう?」
「ええ……」
 夕食後の団欒。のはずであるが、居間には二人の女性しかいない。××が風呂に入ったことを確認して、この話を持ち出してきたのは、黒髪の女性だった。
「そっか。でも、もうそろそろ言わないと辛くなるよ。あの子、結構ライダーを気に入っていたし」
「それは……確かに、わかっているんです。でも、××ちゃんだって薄々は感じていると思うんですよ。前は『ライダーどこ?』って言っていたはずですけれど、最近はまったく言わなくなりましたし」
「それ、いつの話よ? 最近マジで貴女って、記憶がおかしくなってない?」
「ええ……それは、自分でも思います。私には、春以外の記憶がもう、無いんです……。間桐の魔術を受けた弊害なのか、『この世全ての悪』に汚染された影響なのか……今になってみればわかりません。ただ、激しくなってきたのはライダーが消滅したあとすぐ、でしたし。ひょっとするとその影響なのかも……」
 自嘲気味に笑い、顔を自身の長い髪で隠す。黒髪の女性に見られないように、というささやかな配慮だったが、無駄に終わった。
「……ねぇ、何度も言ってるけれど、私の家に来なさいよ。××だっているし、最近ぐーたらになってきた旦那だっているんだから。あんたが一人で暮らしているよりは、そっちの方があんたの体にも心にも良いと思ってるんだけど」
「そうですね。でも、遠慮しておきます。あの人が帰ってきた時に、家に誰もいないなんていう事があったら、きっと寂しがると思うんですよ。せっかく何年も掛けてここに帰ってきたのに、出迎える人間がいないなんて……それは、本当に寂しいことじゃないですか?」
「……ええ、そうね」
 もう、だめなのだろうかと、黒髪の女性は思った。彼が姿を消したのは、実にもう15年以上前になる。その間に彼女は孤独を体験し、彼が生きて止まないのだと信じて疑わない人間となっている。ひょっとすれば、彼女はまだあの忌まわしき戦いの直後に住んでいるのかもしれない。それは、最近の記憶の混乱からもそう見受けられる言葉が、何回も飛び出すことがあるからだ。
「……あんたさ……」
「お風呂空いたよ?」
 パジャマ姿で居間にいる二人を呼んだ××が、黒髪の女性の話を区切った。それが話題の終了を意味しているのがわかった桜は、そのまま「じゃあ、私が先に入りますね」と女性に言って、居間を出た。
 残されたのは親子だけ。黒髪の女性は、テーブルに肘をついて深いため息を吐いた。それを、居間の入り口で立ったままの××が、不思議な表情で見つめている。
「桜おばさんと何を話してたの?」
「……ううん、なんでもない」
「またそうやってごまかす。お母さんね、嘘つくとき足がそわそわしてるから、すぐわかるんだよ?」
「嘘っ」
 ばっ、と自分の足元を見る母親の姿に、クスクスといたずらをした子供のような笑いを浮かべる××。その笑いに不満そうな顔で応える黒髪の女性。
「カマかけてみただけ。本当、お母さんって子供っぽいよね」
「あんたは正真正銘の子供でしょう」
「私に聞かせたくない事だったんでしょう? それなら、聞かない。でも、本当に私が知らないと思ったら、大間違いだから……」
「えっ……」
 テクテクと充てられた客室へと歩いていく娘の後姿を、女性はただ見つめるしか出来なかった。
「あの子……知ってたの……?」
 自分の不甲斐なさに腹が立つ。かといって、それが憶測であって欲しいと思う心もある。
 彼女と、それから桜にとっての掛け替えの無い友人。それは、あの背の高い女性だったのだから、下手に言うことも出来ないでいた。

3.
 本当に突然訪れた。
「姉さんっ! ライダーが……」
 すぐに事情を聞いて、自分の家を飛び出したのを記憶している。
「××がまだ学校に行ってて本当に良かったわ」
 そんなことを言うのが精一杯だったのも、覚えてる。
 でも、ライダーに一体何が起こっているのか、結局わからないままでいた。
 突然の消滅。
 ただ、それだけなのだ。桜が大聖杯の魔力の残影を使ってライダーを現界させていた。ただ、その残影の魔力すらも消えてしまったために、桜の魔力のみではライダーを維持できなかった。ただ、それだけのことに過ぎない。
 そのはずなのに、その予兆を感知できなかった。
 それは、桜の姉である私のミスだ。そして、××の母親である私のミスだ。
 そういったことを告白したはずである。そして、桜の返答は「私が今まで生活させていたのが悪かったんです」と自分が悪いのだと言って聞かなかった。聖杯戦争が終わったあと、さっさと彼女を英雄の座へと帰らせてやればよかったのだ、と。そうすれば、××が悲しむかもしれない、という事もないだろう。
 そこで、私は単純に頭にきた。だから、桜に手を上げてしまったのかもしれない。
 貴女とライダーとの絆って、その程度のものなのか、と。なんだか、無性に頭に来たから。
「ライダーがあんたを助けるために、どれだけがんばったと思ってるのっ! 士郎を探すためにどれだけがんばっていたと思ってるのっ! 全てはあんたに笑顔を見せるためでしょうっ。ライダーがあんたの事を思っているように、あんたもライダーの事を思っていたんじゃないのっ」
 一時期はライダーに嫉妬すらも見せていた。妹である桜が、私よりもライダーを頼りにする事が多かったからだ。ただ、それは慢心だと言うこともわかってしまっていた。魔術的な絆でも、彼女達はしっかりと結びついている。私も桜と血の繋がりはあるが、どちらの繋がりが強いか、などとは本人達によって変わって来る。
 ただ、私ではダメなのだ。ライダーと桜という、この二人でないとダメな事だったのだ。私は彼女のことを深く考えていなかった。最低でも、聖杯戦争の時まではそうだった。その間に、ライダーとどのように心通わせていたのか分からない。結果的に、私と桜の間でどこかしらの遠慮があったのだろう。だから私には、本当のことを言わなかっただけかも知れない。
 桜は、泣いた。嗚咽を漏らして、涙を溜めて。私の胸で。誰の目にも明らかな大人の女性が、まるで母親の胸で泣きじゃくるように、泣いた。
 いつも一人でいた方がいい、と言っていた桜が。
 姉さんに迷惑がかかるから、と言っていた桜が。
 やっと、私の目の前で、本当の心を出してくれた。
 でも、やはり、ライダーが消えたのは、心に傷を残す事になる。
 兄を殺し、祖父を殺し、そして、町中の罪も無い人間も殺し、そしてなお、最愛の人は帰ってこない。
 人を殺した……それも、何百と言う人間の魂を弄んだ報いにしては、それですら生ぬるい罪であるのかもしれない。
 目の前の女性の両肩は、それこそ力を少し入れれば、壊れてしまいそうなほど頼りない。こんな肩に、何百もの罪を背負わせるのには、無理があるって分かっていると思う。
 代われるものなら、代わりたい。たとえ桜に拒否をされようと、今この時代で桜の味方をしているのは、私と藤村先生と、そして××しかいない。藤村先生は直接の事情を知らないし、××はまだ幼い。だから、私が代わってあげたいのだ。
 気がついて、ふと苦笑が漏れる。いつから私は、こんなにも甘い人間になったのだろうか。自分の一番大切な人の共通の友人が消えてしまったから、こんなにも慈悲深くなってしまったなんて、思いたくも無い。
 魔術師として生きるには、人間であってはならないときつく言われた。そしてそれは、自分の娘に対してもそうであろう、と思っている。けれども、ライダーがどれだけ××に影響を与えたかは分からない。たぶん、私の思うような娘にはならないだろう。きっと、私以上におてんばで、桜以上に凄いことをしてくれる、そんな娘になるんじゃないかと思っている。
 何しろ、桜もそうだが、××にしたって英霊に物事を教えてもらったのだ。短い時間だったとはいえ、それこそ一生無い出来事だろう。その師が消えてしまうのは悲しく、幼い××に話してしまったら、それこそ何かしらの心の傷を負ってしまうかもしれない。一人の人格として、ライダーは皆に好かれていたのだ。それは、私にとっても例外なんてない。
「うっく……ひっ……」
 まるで少女のように泣く桜を、ただ慰める事しか出来ない自分に、腹が立った。
 こんなにも、妹が悲しんでいるのに何も出来ない姉としての自分。それが本当に、本当に苛立つのだ。
 無力で、だけど今だけは、桜が私を頼りにしてくれている。
 いつの間に、私は桜に頼る事になってしまったのだろうか?
 その答えを知っていそうな女性は、もう消えてしまっているのだ。
 今まで出来なかった『姉』という役割を、彼女に代わって私はしなければならない、と思う。
 ××の母親として、そして、桜を唯一救う事が出来るであろう、アイツに代わって。
 桜を、様々なものから守りたいと、そう、思った。


4.
 不満が無い、と言うと嘘になるのだろう。
 ××にとって、桜は家族も同然なのだ。たとえ1年に3回しか会うことがなかったとしても、桜は自分の姉のような存在であり、母親は無論母親だった。父親は××の成長を静かに見守るように、今は魔術師として隠居生活をしている。それはたぶん、姉と桜、それから××にとってもやはり姉であり、師であった女性のことを知っているからに他ならない。自分が何かしらの刺激を与えてはまずいだろう、という配慮だったのだろうか。
 だが、××は間違いなく気付いていた。
 ライダーは、もう二度と会うことはない。
 何年になるのだろうか。3年くらい前の春は、みていたはずだ。自分が中学校に上がる事を話していたのだから。
 突然、消えた。××に断りもなく。そして、その事を母親と桜は間違いなく知っているのだ。
 ××を悲しませないように、との配慮があるのは分かるが、だからと言ってここまで長い間沈黙されてしまうのは、嫌だった。時々無性に聞きたくなる衝動に駆られてしまう××を押しとどめたのは、ライダーがくれた唯一にして最後の、贈り物だった。
 深い紫色のリボン。元は桜からライダーへの贈り物だったのだろうが、魔眼殺しのマスクをしている自分には到底似合わないものだから、という事で、3年前の春に××が母親と一緒に衛宮の家を出て行く時に、もらったものだ。
 女性の魔術師にとって、髪を縛ると言うことは、魔力をとどめる事と同義だった。だから、リボンという髪を縛る道具は魔術師をしていく上で、とても大切なものなのだ、と教えられた。
 あのときの××は、厳しいライダーが初めて自分にプレゼントを与えてくれた、とはしゃいでいた。だから、彼女の真意を知る事が出来ないでいた。
 無理も無い。彼女はまだ小さく、ライダーは自身が消えるかもしれない、という可能性を半ば受け入れていたのだから。

 鏡の前に立ち、もう一度自分の姿を確かめる。
 母親に似た少しウェーブのかかる黒い髪。ショートボブのような長さできっているその髪を、紫色のリボンで縛る。あまり長い髪ではないので、お世辞にも綺麗とは言えないのだが、その髪型を誰もが「××らしいね」と言って誉めてくれた。それだけが、××の誇りでもあるし、自慢でもある。
「よし、おっけーだね」
 2回目なのだ。彼女にとって、ライダーという師であり、姉である人物がいなくなった春を迎えるのは。
 そして、桜が過去の出来事に身を置く様になってから。
 桜は会うたびに、自分のことを忘れていっている。だから、このリボンは唯一桜と自分を結ぶ役割をしてくれているのだと、短い人生の中で養った直感が教えている。ライダーの遺品は既になく、残るのはこのリボンだけなのだと、××は考えている。
 くるりと一回転し、桜が朝食を作っている居間へと走る。
「あ、××ちゃん。もうすぐ朝ごはんできるから、もうちょっと待っててね」
「分かった?」
 居間には××と桜と、××の母親の分の3つの茶碗が並べられている。いつもは母親と××が隣同士に並んでいるのだが、今回はいつも桜が使っている茶碗の隣に、何故か××の母親の茶碗があった。
「……」
 別におかしいとは思わない。過去に身を置いている桜にとって、母親は姉なのだから。自分が生まれるずっと前には、二人が並んで??ひょっとしたらライダーも??一緒に食事をしていたのかもしれない、と××は思った。
 テレビをつけて、朝のワイドショーを眺める。自分のうちにはテレビが無い。だから、日常的にテレビをつけることが無い××にとって、衛宮の家は魅力的でもあった。学校の友達は皆テレビの話題を話している。その輪の中にどうしても溶け込めない自分が嫌になり、何度か母親に頼んではいるのだが、あまり良い返答を貰った覚えは無い。
 一切の無駄遣いを嫌う母親ではダメだろう、と桜にねだった事もあった。だが、やはり返答は芳しくない。彼女自身、幼少の頃はあまりテレビを見ていなかったのだから、自分の気持ちが分かるはずだと、そう思いこんでいる。教室で、ただ一人で休み時間を過ごした事もあったはずだし、それを寂しいと感じていたのかもしれない。母親はあの性格だから、逆に「負けてなるものかっ!」という意思が強いだろう、と勝手に××は判断していた。
「おまたせ。姉さんはまだ寝てるの?」
「うん、寝てるみたい。起こしに行ってくるよ」
「おねがいね」
 パタパタと居間を出て、自分が寝ていた部屋の隣の扉をドンドンと叩く。
「お母さんーっ! 桜おばさんがご飯できたって」
 扉を開いてみると、カーテンの隙間から入ってくるであろう、朝日ですらも遮断している暗闇が展開していた。
「なんでこんなに暗くしてるのー? もう朝だよー」
 ベッドの上でもぞもぞしている母親を見て、なんでこんなに寝起きが悪いんだろう、と考えてみる。自分は寝起きに関しては、きっと父親に似たんだろう、と××は思った。
「ほらっ! もう、お母さんもいつまでも子供じゃないんだか……」
 布団をひっくり返してから、異様な雰囲気に気がついた。
 何故かは分からない。開いたドアからの光でしか判断できないにもかかわらず、××の母親は荒い息をして、普段の態度とは想像もつかないほどに弱々しい顔をしていた。
「……あぁ、××。ちょっと悪いけど、桜呼んできてくれない?」

 そのあとの事は、××は覚えていないと言う。
 気がついたときは、母親に充てられた部屋に、桜と一緒に母親の手を握っていた。
 桜は何か、魔術的な施しをしたのだろう。母親が全裸になり、更にその上に何かしらの文様を描いていた。遠坂の魔術ではない。それは判断できたが、じゃあどんな魔術を施したのか見当もつかない。
「あ……××ちゃん、起きた?」
「桜おばさん……っ、お母さんはっ!?」
「今は大丈夫。大分治まってきているし、この調子なら今日一日絶対安静にしていれば、なんとかなるわ」
 寝ている母親の手を握る。弱々しいながらも、しっかりとした反応が返ってきて、××は無性に嬉しくなった。
「でも……なんでこんな事になってるかは、正直分からない。姉さんが病気を持っていたとか、そういうの聞いてない?」
「全然。いつも元気に私を叱り飛ばしたりしてたから、そんなの無いと思ってるんだけど」
「義兄さんにもちょっと聞いてみないと」
 絶対に動かさないでね、と言って、部屋を出て行く桜を見る。そのあと、静かに眠る母親に視線を移した。
 自分よりかも遥かに年が離れているはずなのに、たまに街に出ると姉妹と見間違えられてしまうくらいに、綺麗な顔。長いウェーブの髪は、自分のものより上質で、まるで絹か何かのようにも見える。パっと見ると人形か何かのようで、一回見ただけの人は死んでいるんじゃないかと思ってしまうかもしれない。
 ××にとって、母親はただの母親ではない。魔術の師匠であり、人生の先輩でもあるのだ。××が気付かないだけで、多くのことをこの女性に学んでいる。だから、母親と呼んでいるのは、確かな絆がそこにあるから、安心できると思っていた。
 母親を最初に見たときは、ライダーのように突然いなくなってしまうかも知れない、という恐怖があった。ただ、桜は大丈夫と言ってくれている。だから、今はそんな怖い事は考えないようにしよう、と思った。
「ねぇ、××」
 不意に、呼びかけられた。
「何、お母さん?」
「あんたさ、ライダーのこと知ってるんでしょう?」
「………」
 応えに迷った。知ってるといえば良いのか、それとも知らない振りをしていた方が良いのか、判断が出来ない。別に知っていたところで、母親は何も言わないだろう。知らない振りをすれば、自分が未だに分からない事も教えてくれるのだろう。
 だが、結局沈黙するしかなかった。母親の反応が、まるで今からいなくなるような人間のようだったからだ。
「やだ、そんな顔しないでよ。別に、今すぐに死ぬようなもんじゃないし」
「今すぐじゃないって……じゃあ、いつかは死んじゃうんじゃない……」
「人間、誰でもいつか死んじゃうものなのよ。私や桜がいつまでたっても生きていたら、たぶんあんたは一生気付かない事があるだろうし」
 一生気付かないことって、なんだろうか。まだ幼い少女には、まるで母親が謎掛けをしているような雰囲気が、全然理解できなかった。
「その……気付かないことっていうのは……?」
「……そうね、話しておかないといけないかな。もうあんたも14だし。私や、ライダーの代わりにならないといけないから」
 その話は、十数年前に起きた魔術師同士の戦争の話だった。

5.
 まるで通夜のあとのようだ、と××考えてしまった。
 夕食の時間である。居間で桜と二人っきりの食事。いつもはテレビもつけているのだが、その雑音すらも消し去りたいのか、どちらからとも無く消してしまった。
 カチャカチャといった食器の音しか聞こえてこない。この沈黙を早く破りたいのだが、だからと言って何を話せば良いのかまったく見当がつかない。桜はいつものようにただただ食事をしているだけだった。今までその姿を見ても特に何も考えなかったのだが、今は非常に痛々しい表情にしか見えなかった。
 必死に何か話題を探し、今が食事中だと言うことに気がつく。
「このコロッケおいしいね。私、かぼちゃが好きだから嬉しいよ」
 言ってから、××は後悔した。こんなセリフしか出てこない自分の会話技術の無さに打ちひしがれてしまう。何故、こういった重要な時にスラスラと言葉が出てこないのだろうか。
「……良かった、先……××ちゃんがそう言ってくれて。今日のコロッケ、ちょっとバタバタしてたからうまく出来なかったと思ったんだけど」
「……」
 ××は笑顔を消した。自分が目の前にいるのにもかかわらず、桜はまったく違う人間のことを考えていたのだろうか。それは、母親から聞いた"あの戦争"に消えた人だったからだろうか。そして、"あの戦争"の時に唯一桜を救った人間が、同じように好きだったものだったからだろうか。
 今まで桜は単純に精神疾患か何かだと思っていた××にとって、母親の話したことは大きく自分にも圧し掛かってきている。
 桜と母親が敵同士で争っていた事。桜がたくさんの命を奪っていた事。桜が愛していた一人の男性の事。その男性が、サーヴァントのライダーと一緒に桜を救おうとしていた事。その男性は"あの戦争"から帰ってこないこと。
 そして、その男性が桜に言った約束の事……。
 魔術師として、何より人間として未熟である××は、ただ聞くだけしか出来なかった。"あの戦争"の事を知らない自分には、桜に対してこの話題を出す事は桜をより追い詰める事であると考えた。なおかつ、"あの戦争"を知っていた一人であるライダーは、桜の大聖杯との繋がりが事実上消滅したことにより、消えてしまっている。もう、二度と、会うことはない。
 まだ、母親がいるではないか。××は話を聞いた時にそう反論した。だが、母親は首を振った。
(私ではダメなのよ。あの子の本当に深い部分には、私には入り込めない……)
 自分ではもっと無理だ。"あの戦争"を知らない自分では、知らない間に桜を傷つけてしまう。ひょっとしたら、もう二度と私を私と認識できなくなるかもしれない。それは、桜が好きな××にとっては恐怖の塊だった。ライダーが消え、桜が遠いところへと行ってしまったら、××が親しい人間がほとんどいなくなってしまう。その恐怖が、今はとても身近にあるような気がした。
 沈黙が再び降りる。もう、何も言う気力の無い××と、ただ黙々と食事と言う"作業"をする桜。
 考える事しか出来ない××は、食事を終えた後さっさと風呂に入り。

 泣いた。

Period.
 ねぇ、先輩?
 桜が、もう花を咲かない季節になろうとしています。
 この春も、先輩は帰ってきませんでしたね。
 きっと、この家に帰る途中に、困っている人が居るのかもしれません。
 だって先輩は、困っている人を放ってなんておけませんでしたから。
 ふふふ。私も、先輩がいるから今までがんばっているんですよ?
 だから、帰ってきてくれたら、たくさんたくさん、お小言を言うんですから、覚悟して置いてくださいね?
 そうそう、姉さんがね、結婚したって知っていますか? もうね、子供もいるんですよ。××ちゃんって言って、とっても可愛いの。もう中学生になっていたかな? 月日が経つって早いですよね、もう何十年も先輩を待っているような気がするんですよ。
 あとは、ちょっと悲しいお知らせがあります。
 ライダーが、とうとう英雄の座へと帰って行ってしまいました。元々私の中の魔力量じゃ、ライダーのようなサーヴァントをいつまでも付き従えているなんて、ちょっと無理だったのかもしれません。こんな事なら、戦争が終わったあとに早く戻らせておけばよかったって思ってます。だって、××ちゃん……あぁ、姉さんの娘さんです。あの子、とってもライダーと親しかったから。あんな小さな子に本当のことをいえないから、まだ黙っているんですけれど……。
 またこの桜の木が満開になる頃、先輩と一緒にお花見が出来ると良いですね。姉さんと××ちゃんと……あ、もちろん藤村先生も一緒にしないと怒られちゃいますね。うふふふ。
 あぁ、なんだか眠たくなっちゃいました。私、今日はいい夢が見られるかもしれません。
 先輩、早く帰ってきてくださいね?

じゃないと私、おばあさんになってしまうかもしれないから。







 ねぇ、桜。貴女はどこに行ってしまったの?
 ねぇ、桜。貴女は何を見ているの?
 私には分からない。分からないから、必死に貴方の事を知ろうとするんだけど、そうすると更に分からなくなるの。
 聖杯戦争の過程を突然聞いてくる。そのくらいならまだ良かった。でも、私がまだ時計塔にいるはずだと言ったり、××の事をまだ赤ん坊だったと言ったり……。
 こうなるくらいだったら、貴方に無理矢理にでも分からせてあげた方が良かった。
 衛宮士郎は死んだ、と。貴方が愛した人間はもう既にこの世にいない、と。
 そうであれば、まだこんな呪いの言葉に縛られて生きながらえる事は無かったかもしれない。
 どうして、こんな事になってしまったんだろう。私では、やはり士郎の代わりにはなれなかったんだろうか。
 教えてよ、士郎。なんで、なんで帰ってこないのよ……。
 桜がこんなに待っているのに。あんたとの約束をずっとずっと待ち焦がれているのに、なんで帰ってこないのよっ!
 ライダーが消えた。私はもう動けなくなるかもしれない。藤村先生だって殆ど衛宮の家に来ないっ。そんな中で、桜だけはひたむきにあんたを待っているのよっ!?
 桜だけを守るんじゃなかったのっ!? 世界を敵にしても、桜を守るんじゃなかったのっ!?
 姉としての私は、もう自信が無くなってしまったのよ……。

after.
 叔母の葬儀は、私達遠坂の人間が取り仕切った。
 叔母には血縁関係と呼べる者が私達しかいなかったからだ。もう、あまり家から外出する事も無くなった母と一緒に、黒い喪服に身を包んだ。
 結局、叔母の愛した人は来なかったのだが、それでも叔母の最後は幸せそうな笑顔だったと言う。
 最後の最後に、叔母は幸せなまま人生を終えたのだと分かったけれど、その終わるまでに私達が何も出来なかった事が後悔でしかなかった。
 叔母の墓の前で、私と母は手を合わせる。
「桜……ごめんね。出来損ないの姉で」
 母が呟いた。
 後悔しかない。
 それでも、私はあの叔母の幸せそうな笑顔だけで、少しだけその気持ちを軽く出来たのかもしれない。
 きっと、空の上で、唯一愛した人と一緒にいられるのだから……。

end